エコタウンで学ぶ、価値ある太陽光パネル利用法とは
2016/08/04
「八百万(やおよろず)」の世界観、美意識を持つ「和」文化が本来の力を失いつつある。取り入れた文化の文脈に自らが埋もれてしまうリスクのほうが際立ってきているのだ。「雲の上の町」高知県梼原町を取り上げ、「八百万のパラドックス」に注目する。
梼原町:「エコタウン」?
「八百万(やおよろず)」の世界観、美意識を持つ「和」文化は、異質で多様なものを取り入れて、それらを自らの文脈の中で上手く生かすことに長けている。それは結果的に、アバンギャルドなものを生み出し、日本ならではの豊かな生活を育んできた。
だが、いま和文化は本来の力を失いつつあり、その大らかさの利点よりも、むしろ取り入れた文化の文脈に自らが埋もれてしまうリスクのほうが際立ってきている。
以前にも取り上げた高知県梼原町。東京から670km、人口4000人、標高1456mに及ぶ四国カルストに抱かれ、森林と四万十川を頼りに1100年の歴史を刻んできた「雲の上の町」。そこは、八百万の粋な趣とそれが孕はらむリスク、その両方が明瞭に感じられる場所だ。梼原は2基の風車に加えて、設置世帯割合全国トップレベルという太陽光発電や、小水力発電、木質バイオマス発電など、再生可能エネルギーの設備を、棚田をはじめとする日本の昔ながらの原風景の中にしのばせ、エネルギーの100%自給を目指している。
「環境モデル都市」「エコタウン」「低炭素な町」――町が纏うこれら〝旬な〞言葉と町の取り組みとの間に違和感を感じる人は少ないだろう。
だが、もう少し町の深層へと足を踏み入れてみると、この町では、昔ながらの生々流転の感覚、日本古来の人と自然の関係が大切にされた町づくりが代々受け継がれてきており、そうした流れの上に今の梼原の姿があることがわかってくる。
この町を「エコタウン」と呼ぶことは、日本人自身が理解を失いつつある日本文化の真価と可能性を、一見魅力的な西欧文明の包装紙ですっぽりと覆い隠してしまうことにつながりかねない。
八百万のパラドックス、それは、雲の上の町にも潜んでいるのだ。
太陽光パネルのふたつの顔
世界にもまれな、穏やかで豊かな自然環境を背景に、日本人が育んできた人と自然の関係とは、「人も町も自然の一部」というもの。この世界観、あり方は、人も自然も潤し豊かにすることを目的とする日本ならではのイノベーションを生み出し、人・町・自然がひとつの生命体として発展してゆく、独自の文明を創り上げてきた。
この文明は本来、自然の姿そのものから叡智を受け継ぎ、サステナビリティや共生をはじめから内包している。たとえば梼原町の太陽光パネルは、この叡智の表れとして、自然に溶け込んだ町の循環を強化するために採用・活用されているのだ。
一方で、西欧文化の根底にある世界観は、その原点に厳しい自然環境との「戦い」を持つがゆえの宿命か、人と自然は乖離し、自然を人のためにある資源と考える。この世界観のもとでは、人が自然と共にあることを「未開」と捉え、自然の影響を遮断しその利用価値を追求する文明が育まれてきた。
自然の摂理から「外れた」この文明においては、周知の通り、サステナビリティや共生が実現困難な大きな課題となっている。
同じ太陽光パネルだが、ここでは自然をより賢く利用し、あるいは保護し、サステナビリティの確保を図るための道具として使われることになる。