自民党総裁選、衆院選であぶりだされる“脱炭素への選択肢”
2021/09/25
この秋、政権与党である自民党の総裁選と、衆議院議員総選挙が実施される。この2つの選挙は、日本の脱炭素化にどのような影響を与えるだろうか? エネルギーエネルギージャーナリスト・北村和也氏による連載コラム第29回。
菅首相が政権に行き詰まり、急転して政局となった。
長く官房長官を務めたとはいえ、政治的な信念や政策もはっきりせず、自分の言葉で説明する技能もなかった。言葉を選ばずに言えば、とても日本全体に対応する政治家とは言えないレベルであった。国民が離れ、自民党も見捨てたのは当然の結果である。
ただし、エネルギー政策として、カーボンニュートラルに舵を切ったという決断は必ずポジティブに後世に残る。信念とは関係なく、脱炭素の意義に気づかなかったとしても。というよりだからこそ、外部の声を聞く必要も感じなかったのかもしれない。
9月の政治は一気に総裁選一色となり、11月には必ず衆議院議員総選挙が行われる。エネルギー政策は論争の柱の一つであり、各候補も必ず何らかの方向性を示している。また、総選挙になれば、野党も含めて議論が行われると期待する。
脱炭素一辺倒から
多面な論点へ
いずれの候補も脱炭素や再生エネの拡大を否定することはない。基本的にはカーボンニュートラルを支持し、可能な限りの再エネ拡大に賛成している。
ただし、面白いのはここにきて、総裁選の中で脱炭素の道筋に一定の反論や珍奇な論が見え始めていることである。菅さんがトップとして国際的な約束をした段階では反対しにくかったこともあったのであろう。中には、エネルギーの基本を知らないのでは、とのハズイことを訴える候補もいて、重要なエネルギー政策を任せてよいかためらう気持ちも沸く。
本格的な脱炭素社会に向かって、国を動かすリーダー(政党を含む)選びは重要である。よって、この時点で多岐にわたる議論のベースができるのは良いことだと前向きに捉えている。
ひとつ断っておくが、このコラムは政治的な選択のガイドを示すためのものではない。どの候補が望ましいかとは一線を画すつもりである。よって、あえて固有名詞を外す。そのことで、自民党の総裁が決まった後でも意味がある。
脱原発はエネルギー問題の
メインイシューか
総裁選候補のエネルギー政策で当初、最も取り上げられたのが脱原発である。一人の候補が過去に強く脱原発を唱えて、注目を浴びたことが背景にある。経団連を中心とする財界が原発は必要としている中、自民党内には脱原発に反発する方が強い。ところが、この候補が質問に対して「必要な原発は再稼働する」と答えたため、今度は変節だの、実は裏では脱原発を捨てていないなど、さらなる論議が起きている。
最後に手を挙げた候補は、政策を聞くとそもそもエネルギーにそれほど興味がないように見える。唯一示しているのが、原発は重要なベースロード電源、というものである。また、急に原発ゼロは現実的でない、とも言っているが、これは少なくない脱原発派でも同意見なので、意味のある争点にならない。
結果として、4人の候補とも見かけ上はこれまでの原発政策維持で並び、差が見えにくくなった。
私見ではあるが、重要なのは日本の最終的な脱炭素に原発を必要とするかどうかである。それは明日明後日の課題ではなく、一定の年数を前提とした中長期の観点が欠かせない。ドイツは2011年に脱原発を宣言したが、期限は2022年の12月31日であった。脱石炭火力では2038年という気の長い話である(「やってる感」を先行させていてずるいと私でさえ思うが)。
この候補に対する両極端からの非難はあまり意味がない。現時点で言い切ることよりも、今はほとんど行われていない、目標設定、意義、やり方、スケジュールなどしっかり議論する方が何倍も重要である。
脱炭素は待ったなしであり、あらゆるリソースの動員を想定した対応が必要である。脱原発はその一部ではあり、また、事故を起こした地震大国としての観点を忘れてはならない。しかし、○か×かだけでは政策とは呼ばない。また、何より原発は脱炭素施策のメインイシューではないことを確認しておきたい。
驚くべき知識の希薄さ
ある候補が発したエネルギー政策がSNSなどで少しバズった。
「これほど情報通信化が進むと消費電力量が半端なくなり、2030年に30倍、2050年に4000倍になる」とTwitterに書いたのである。国立研究開発法人の報告書のデータとして紹介しているが、そんなバカな報告をするはずもなく、本人が読み違えている。情報の主管官庁のトップも務めた候補なのに、である。
また、新しいエネルギー基本計画の修正も主張している。再生エネ電源36~38%では日本の産業が成り立たない、というのがその理由らしい。代わりに2020年代に小型核融合炉を実現させるという。唖然(あぜん)とする。本人のレベルは言うまでもないが、政治家を支えるチームはどうなっているのだろうか。たしかこの方は、アメリカで政策チームにいたことを誇っていたと思うのだが。
別の候補は、原発や核燃サイクルなどでこれまでの政策を継続するとしている。一方、新技術への期待も大きい。特に核融合については複数の記載があって、前述した候補と似ている。さすがにすぐに実現とは言っていないが。
ところが、エネルギーに関する不思議な言葉が登場する。「水素融合」と「トランジッション市場の創設」である。前者は、核融合のことではないかと推察されるが、後者は聞いたことがない。
求められる正しい選択肢
明らかな誤りは、早急に正されなくてはならないし、誰も聞いたことのないような“専門用語”は説明が必要である。
自民党の総裁選は、しょせんコップの中の争いである。11月といわれる総選挙がメインの国民の選択となる。野党側は、第一党の立憲民主党を中心に対抗する政策を発表している。政権を取ったらすぐにやるという公約7項目+5項目が立憲民主党のものである。関心が総裁選ばかりに向くことへの焦りなどがあるとはいえ、政策の発表自体は悪くない。
ただし、違いを際立たせる項目を中心としており、なぜかエネルギーに関するものがない。原発に関しては、連合や国民民主党ともめたくないという解説が多くあるが、いつまでこんなところを行ったり来たりしているのか、残念である。
待ったなしの脱炭素社会はお題目でなく、現実である。リアル、現実というと、原発がリアルで再生エネが夢物語と勘違いする向きもあるが、すでにその意味合いは逆転している。原発事故は悲しいことにリアルになってしまった。エネルギー論議が、脱原発の是非にすり替わっていること自体が、日本のエネルギー政策の貧困を表していると感じる。
カーボンニュートラルの取り組みが経済に直結することは経団連まで認めている。デジタル化も脱炭素の基礎となる。すでに各種のデータで日本の経済力の低下ははっきりしている。あまり好きな言葉ではないが、日本の反転攻勢のチャンスはあまり残されていない。
政治は、エネルギーに関しても、ファンタジーや対立のための対立ではない前向きな選択肢を提示する義務を負っている。